新宿区戸山エリアと大久保に広がる、総面積約18万平方メートルにおよぶ都立公園。公園は「箱根山地区」と「大久保地区」の二つに分かれている。この地は江戸時代には尾張徳川家の下屋敷として、池泉回遊式庭園の「戸山荘」が設けられていた。敷地内には箱根山に見立て造成され円い玉を伏せたような形状の「玉円峰」と呼ばれた築山が(現箱根山)があり、御殿や渓谷、田畑なども配し、小田原宿の景色を模した二十五の景勝地が設けられていた。その後は水害などで荒廃し、往事を偲ばせる遺構はこの箱根山のみとなっている。
明治維新後は明治政府に明け渡され、陸軍戸山学校の用地となり、陸軍の連兵場などに利用された。戦後、戸山ハイツの建築にともない、公園として整備され戸山公園として開園した。
毎年体育の日には、穴八幡宮の伝統行事である「高田馬場流鏑馬」の会場ともなっている。
新宿区戸山エリアと大久保に広がる、総面積約18万平方メートルにおよぶ都立公園。公園は「箱根山地区」と「大久保地区」の二つに分かれている。この地は江戸時代には尾張徳川家の下屋敷として、池泉回遊式庭園の「戸山荘」が設けられていた。敷地内には箱根山に見立て造成され円い玉を伏せたような形状の「玉円峰」と呼ばれた築山が(現箱根山)があり、御殿や渓谷、田畑なども配し、小田原宿の景色を模した二十五の景勝地が設けられていた。その後は水害などで荒廃し、往事を偲ばせる遺構はこの箱根山のみとなっている。
明治維新後は明治政府に明け渡され、陸軍戸山学校の用地となり、陸軍の連兵場などに利用された。戦後、戸山ハイツの建築にともない、公園として整備され戸山公園として開園した。
毎年体育の日には、穴八幡宮の伝統行事である「高田馬場流鏑馬」の会場ともなっている。